中学を卒業して高校に進むと、帰宅部になった。
Wizardryと出会ったのもこのころだ。
自作のワープロソフトを作った。プリンタは熱転写で、フォントも選べないものだったけれど。
コンプティークの誌上リプレイで、D&Dを知って学校でやったりした。
後は、当時はレンタルソフト屋さんがあって、武蔵小杉とか渋谷までゲームを借りに行った。
愛読書は電波新聞社のベーマガで、BASIC以外特に新しいことも学ばずに時は過ぎた。
その頃X1のFM音源ボードが発売され、日本ファルコムのYsと言うゲームが音楽が良いと評判だった。
両方手に入れた私は、期待に胸を膨らませてゲームを起動した。
確かに音は綺麗だけど、こんなもんかな~?と思ったらFM音源には対応していなかった。
当時ゲーム機としてはNECのPC-8801mkII SRが最強だった。
ファルコムはPSGの使い方も群を抜いて良かったけど、Ysのオープニングは曲自体が違った。
初めてのアルバイトで、アセンブラを買った。
トロンと言う映画が元になった、ライトサイクルと言うゲームが流行っていたので、アセンブラで作った。

3年になったとき、あまり学校に来ていなかった前の席の人が、来たと思ったら突然「久しぶりぶり」と言った。
それまでほとんど話したことがなかったし、面食らってなんと返事したか憶えていない。
とにかく彼との間に交流が生まれ、私は3年にして物理部と言う部活に所属した。
物理部と言っても、ちっとも物理はやってなくて、アマチュア無線とパソコンの部活だった。
ハムの免許を取ったのが、入部の前だったか後だったか憶えていない。
パソコンはMZ-80があった。この頃から愛読書がベーマガからOh!Xに変わった。
S-OSと言うOSがあることを知り、16進のダンプリストを入力した。アセンブラもテキストエディタもフリーのものがあり、ひたすら入力した。
今の人にはOSが雑誌に載っていて、手で入力したなんて信じられないだろうな。
当時はOSって言う概念すら一般的じゃなかった。

祖父が亡くなったとき、幾許かの遺産分与(?)があり、X68000とHDD、メモリ、Cコンパイラを買った。
HDDは、SASIと言うインターフェイスで40Mで10万くらいした。
メモリなんて、2Mで10万だ。
X68000のキャッチコピーは「パーソナルワークステーション」。
中身はMS-DOSクローンみたいなものだったけど、GNUのソフトがどんどん移植された。
gccやemacsを知ったのはこの頃だ。
フロッピーディスクはだいぶ一般的になったけど、雑誌に付くわけではないのでまだ16進ダンプは残っていた。
当時の一番の自信作はテンキーを16進キーボードに変えるチェックサム付きダンプエディタだ。
やがて満開製作所が電脳倶楽部と言うフロッピーの雑誌をだすが、それはまた別の話。

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 回顧録(2)

このブログ記事に対するトラックバックURL: https://www.wizard-limit.net/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/2079

コメントする

このブログ記事について

このページは、falseが2009年8月 6日 21:27に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「sshの設定とか」です。

次のブログ記事は「iPhoneでVPN(2)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

広告

Powered by Movable Type 6.1.1