ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団
前作 4 巻くらいからの傾向だと思いますが、本作ではハリーの人間性の成長に焦点があてられているようにみえます。思春期に入って情緒不安定になったり、好きな女の子を意識したり。
その分、魔法に関するワクワクするような記述が少なくなり、成長物語よりも、ファンタジーを期待している私のような読み手には、かなり物足りない内容となってしまいました。
もちろん、思春期を描く上で、情緒不安定な時期をしっかり捉えるのは重要なことだとは分かっているのですが、お話としては面白さに結びついていないようにみえてしまい、読み進めるのに少々苦労しました。
次の巻では、もう少し楽しく読めると嬉しいです。
静山社のハリー・ポッター公式サイト:ホグワーツ校友の会
1巻から気になってはいるのですが、少年の成長の過程を表現するためとはいえ、描写のどぎつさが気になります。例えば、クィディッチで、スリザリンの寮生がグリフィンドールに野次を飛ばす際に、ロンをあからさまに攻撃します。スポーツの対抗相手の選手に対してこのような野次を飛ばすのは、私の常識では余りにも人間性を欠いたものに思えます。
もしかすると、日本人の私には分からないようなイギリスのお国柄なのかもしれませんが、作者は必要以上にスリザリンの生徒を人間性に欠ける人たちのように描いています。
ハリーやダンブルドアの側が善、スリザリンやヴォルデモートの側が悪というような単純な書き方は、物語を一見分かりやすく見せますが、人間性を描く上では、マイナスとして作用するのではないでしょうか。人間は、善や悪で二分できるほど、単純なものではないと思います。
もっとも、(読者には)そう思わせておいて、実はヴォルデモートは悪などではなく、ヴォルデモートなりの正当な理由があるのかもしれません。
※以下、ネタばれです。
一方、ハリーの父、ジェームスの少年時代を持ち出して、ジェームスにもモノの分別 (ふんべつ) がつかなかった時代があったという表現をしています。
これは、「人間は成長するものだ」ということや、「人間が矛盾を持ち合わせた存在である」ことを示唆しているようですが、スリザリンやヴォルデモートに対する表現方法が偏っているために、私には説得力にかけるようにみえます。
また、シリウスが本作で死亡しましたが、何故シリウスは死ななければならなかったのでしょうか?正直、読んでいて、シリウスが死亡して嘆き悲しむハリーの心情に感情が同調できませんでした。
その理由の一端は、ハリーの本作での言動にあったと思います。最初から最後まで、ほとんどの言動が情緒不安定で、いつも誰かに対して怒ったりふてくされていたりするのを読むのは楽しくありませんでした。
人間性の成長を描くのであれば、最後にハリーから周りの皆への最大限の「感謝」を表現して欲しかったです。もしかすると、ハリーの成長はもっと先の巻で表現するつもりなのかもしれませんが。
辛口になりましたが、ハリー・ポッターシリーズは大好きな作品のひとつなので、あと2巻を楽しみに待つことにします。
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